ニュースより。和泉宗家、万波医師、向井亜紀さんのこと。

■和泉宗家の悲劇
狂言師和泉元彌さんのお母さんが、駐車場代金を滞納されているとか、いろいろ取り沙汰されている報道があった。この人たちは、何かあるとすぐに悪意がこもっていると感じる報道をされていて、私は気の毒でならない。
私の推測だが、私は別の狂言の一派が、和泉流を潰そうとする陰謀が根底にある流れだと感じてならない。
このようになぜ感じたかというと、何年か前に勃発した宗家であるかないかの裁判がおこされた騒動の時、別の一派の若い人気の狂言師が、待ち受けていたインタビューにうっかり応えて、悪意と見下しを露呈させたのを察知したことがあったからだ。あの時、『ああ、和泉流は、この一派に潰されるというか統合されるというか、いずれにしても日本の伝統芸能の格式を奪われ、崖下に落とされようとしているんだな。』と思った。
和泉元彌さんのお父さんが亡くなって、若い元彌さんが跡を継がれたようだが、お母さんとしたら、名前も実力も伝統の格式も一流として社会に認めさせたいと懸命につっぱって息子を守り、粉飾もされたのだろう。
それが別の一派からするとシャラクサかったのではないかという気がする。その一派は、実力人気ともに磐石の土台を築いている。その自分達に、芸、人間ともに未熟な若者が、宗家と名乗ることで大河の主役に抜擢されるなどの認められ方をするなど、ちゃんちゃらおかしく、認めたくないことだったのだろう、と思う。
しかも、母親は、己たちの未熟を精進しようとするのではなく、粉飾で自分達に肩を並べようとする。本当にいまいましく許せない、と思ったのではないか。
そこでこの一派の、和泉宗家潰しがはじまった。


実際に、世間から糾弾されても仕方のない、和泉さん側の目に余る思い上がりや未熟はあったのだろう。
だが、なにもここまで、マスコミを動員して、貶めつづけることはないのではないか、と私はことあるごとにマスコミが叩くのを見て、そう感じていた。
そして、このままでは、この人たちは、まず経済の困窮から落ちていくのではないか、と胸が痛む思いがしていた。
今回のことで、やっぱり大変な困窮をされていると感じ、気の毒でならない。
たしかに、何事も、真っ直ぐに精進していくことは必要だろう。それをおこたり、粉飾に埋没していかれた部分があったとしたら、ある程度の凋落や世間の不信をかうのは仕方がないだろう。
でも、それだけではなく、やはり権力の冷酷で惨酷な意図を感じる。そのことが気の毒に思うのだ。
実力のある宗家に守られていず、でもその名は立たせなくてはならない重圧のなか、元彌さんやお母さんが懸命に努力をされ、結果的に粉飾に走った部分もあった、それはそんなに許せないものなのだろうか。
みんな、そんなに立派なのだろうか。
この後、和泉流はどうなるのだろう。立派に立ち直ってほしいと思う。


■万波医師、アメリカの医学学会総会での発表を中止される。
アメリカの医学総会(正式な名称はわからない)で、腎臓移植で物議をかもしている宇和島徳洲会病院の万波医師が、腎臓移植(病気の腎臓の移植?)問題で、自分の考えや成果などを発表するはずだったのが、アメリカ側の意向で取りやめになった、と報道があった。その報道によると、日本医師学会がアメリカ側に、中止をするよう言い、アメリカはそれを受け入れたということだ。
どこの世界も、強い側の意向に流れていくのですね。だから、勝ち組になりたい人たちの陰謀はあとをたたないのでしょう。せこいもんだ。
堂々と意見を述べさせてあげて、それに対して、堂々と、NOならNOと結論つけることもない。


向井亜紀さんと子供
親子関係を戸籍上認めないと決定したというニュースに気持が曇る。
命や平和を尊ぶということは、人(生き物)個々の思いや気持をくむ、ということが根底にある、ということを基本にあるべき、なんてことを言うと、失笑をかうことは重々承知だが、私はそう生きている。そうでない場合もあるが、そうでないのは、私の無知と非力がなしていることで、生きることの意味と価値は、それぞれの思いや考えや願いなどがまず大切にされなくてはいけない(これはなあなあで馴れ合うということではない。妥協しあうということでもない。個人の怒りや悲しみから発するものに心を開くということで、馴れ合いや妥協と相容れないものである)
というところで立っているつもりだ。
そんな自分からすると、向井さんと子供さんが親子であるということを認めようとしない権力に強い憤りと落胆を感じる。私は、臓器移植を含めて、神の領域、と思うところの医学に反対であるが、人の思いはまた別だ。
向井さんご夫妻と、彼らの子供さんが、戸籍上も親子となられることを、心から祈っています。