向井亜紀さんと子供

向井さんが代理の女性のおなかを借りて母親になり、その子供を実子として認めることを求める裁判の判決で、それは拒否されたことで、私は向井さん夫妻の親としての心情に同情と共感を感じていて、また子供にとっても戸籍上のことは影響が大きい、なぜ向井さん夫妻の望むように認めてあげないのか、と怒りすら覚えている。
・・・とそんな気持でいる中、たまたまだったが、下のブログを拝見した。
もしかしたら、向井さん夫妻が自分達の血がつながった子供を得ることで選択した、この結果、というものは、この人の主張されることが正当なのかもしれないと思った。この人は冷徹な視点に見えて、広い視野の中で博愛をもっている人なのだろうとも。


子供がなぁ・・・・・・。この子は勿論、いずれは自分の宿命を受け止めて大きく生きるのだろうし、そのように育てていかれるだろうし、私などが心情的にあれこれ思い悩むことではないのだが・・・・・私は自分の宿命を思うにつけ、子供というのは特異な宿命を背負わないでノーテンキにのうのうと大きくなっていくのがいい、と思うもんだから、向井さんの子供に入れ込んでしまいます。(特異な宿命を背負った子供や大人を、決定的に不幸などと決め込んでるわけではないですよ。人間は自分の全部を背負って生きるものです。)

「養子」という形式ではなぜだめなのか?
なぜそこまで血族的な正当性にこだわるのか?
そもそも子供が欲しいというときに、不妊治療をこえて他人の母体を借りるまでするところからして奇妙に感じる。
そもそもなぜ養子ではいけないのか?
「自分が育てる子供」と「自分の子供」というのはそこまで違うものなのか?
いったい何を求めているのか?
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