ブチ、行方不明

ブチはある夏、身重で橋げたに繋がれて放置されていたのを家に連れてきた犬である。
当時は夫が一回目の脳梗塞の何年か後で、後遺症はあったが自転車で散歩ができていた。たまたま川のそばで疲れて休んでいて、橋げたに繋がれているブチを見つけた。夫は近所の田畑の農作業をする人が連れてきていると思い、そのままにして帰ったが、気になったので翌日そこに見に行ったらまだいた。この時も飼い主が来るのだろうと思い帰った。翌日もいた。


こうして数日して、私にその犬の話をしたのである。
私は聞くとおかしいと思い、夫の言うとおりの道筋を走って行ってみた。見てすぐに、『この犬はこの炎天下の中、水も食べ物もなく繋がれていたのだ!』とわかった。明らかに脱水状態で危険な様子だった。
三和町の病院にかつぎこみ、何日か入院したのだが、その間に医師の「避妊手術をしましょう」という助言のままにそうした。可哀想でたまらなかったがこのままにしておけば母子共に助からないのなら、この子を助けたかった。


こうして我が家の家族となったブチ。夫が、「ぼくが助けた」と言って毎日散歩に行った。
この子はいつも哀しげな眼差しをしていた。吠えたこともなかった。だが他の犬とうまくいかず、家の門扉と玄関の間のスペースに一匹で暮らした。やがて黒い犬のサンが来たのだが、サンとは仲良く一緒に住んだ。


あれから10年が経った。
この間に、夫はまた脳出血脳梗塞が続き、決定的な認知症となり、ブチの散歩も行けなくなった。
だが、ふと散歩に行かねばと思い出すのか、ブチのいる門扉を開けてしまうことがある。そうするとブチとサンは、「やったね!」とばかり飛び出して自分で散歩に行ってしまう。そしてしばらくすると満足な表情で帰ってくる。
やがてそのサンも、突然旅立ち、ブチも老いた。我が家に来た時、医師の話では、「けっこう年いってそう」ということだったから、十数歳というところだろうか。
最近は食欲もなくなり、身体がゲッソリと痩せてきた。
「急にふけちゃったね〜。」とついこの前ブチに言ったばかりだ。
そのブチが4日の土曜日にいなくなった。いつものようにまもなく帰ると思ったがいまだ帰らない。
土曜日の夜から何度も探しに出ているが見つからない。

元気だった頃のブチ。向こうの黒い犬はサン。散歩の途中に森の木に繋いで写真を撮った。
どの犬も、何らかの悲しい事情を背負って私の家の前や、近隣の森にいて我が家の家族になった。
私は何の手段も力も持たず駆使できず、ただひたすら自分を打ちながら守ってきた。
それが耐えがたく苦しいと思うこともあったし、実際壊れかけたこともあった。


私達が救われるとしたら、それは人の心が、「犬がいても、猫がいても、生き物がそこで生きるのはいいじゃないか。当然のことだよ。」と思うようになることだ。
それ以外の何も望まなかった。これからもそうだろう。
そうやって生きていくだろう。人間は許してくれなくても、地球は、許してくれるだろう。