年金減額にあわないために三月で議員を辞職する議員の可笑しさ

四月から議員の年金が減額になるとかで、そうなる前に辞職してこれまで通りの年金額を欲しいと思う議員が三月で辞職するものが多いのだという報道に、思わず欝を忘れそうになるほど笑わせてもらった。最初聞いた時、「まさか! そんな恥かしい議員がいるわけないでしょう。」と思ったけど、インタビューで、「その通りだよ」「なんで後ろめたく思うの?」「たいした問題じゃない」と答えているセンセイがいて、本当に笑った。たいしたもんだィ、センセイがた!
そういやぁ、私が今の住所に引っ越してきて、私がサッカだと聞いたらしいセンセイに呼び出されて、「ひとつなんか一緒にやりませんか。(政治活動のことらしい)まずその前に、お宅のたくさんいる猫は処分して、家をみかけのいいようにして・・・。」とマジで言ったセンセイがいたっけ。このことあんまり忘れられないことなので、日記にも書いたことがあるが、この時、「ここにいたらアホがうつる!」と啖呵を切って席を立ったのだけど、思えばあれが人間の悪意による苦労のはじまりになった。その地元のセンセイにフクシュウをされ続けたからだ。でもそれがいかに悪質であっても、その人を友達だなど思っていないわけだから、私はまったく平気だった。


友達だと思っていた人や、自分が望んでその世界に入ったところのいわば仲間から、それに近い仕打ちを受けた時は本当に悲しかった。今も傷が深く、その痛みで随分長く悶々とした。でも、
その人たちに、フクシュウをしようなど思ったこともなかったし、その人たちのエリアで、その人たちが生きにくくなるような言動はしなかった。
だが、聞かれると、はっきり、酷い目に合わされたと話したことはある。
それは、悲しみや痛みが発するものであったが、結果的に、そのようにとられず、新しい傷を受けるように流れていった。
私は自分の徳のなさを嘆いた。
今もそうだ。でも、不思議なことに、今は、どんなに辛い思いをし自分の不徳を嘆いても、どこからか常に明るい透明な光がさしてきているのを実感する。これは年齢を加えて得た人間力というものかも知れない。
寂しさや欝症に落ち込むことはあるが、自ら踏みこたえられるのだ。
悲しい人よ、苦しい人よ、明日という日に辿る、それまでの時間は栄養剤です。一緒に、明日に、行きましょう。明日、に着いたら、もうあなたは元気を取り戻しています。