第十五回 諏訪攻め【追記:山本勘介の目】

由布姫にはじめて出会い、姫を振り返り見た勘介(内野聖陽)の眼差しは素敵でした。普段の勘介は、この世の全てを沈めて濁っている沼のような目をしているが、由布姫を見た時の目は透明で美しいと思った。
この演技、凄いよね。

■赤い薔薇のSoliloquyさんからのトラックバック
今日、赤い薔薇のSoliloquyさんからトラックバックが入っていてるんるん
実はここのところなかなか気持が晴れず、孤独感がひたひたしのんでくるので元気がなかった。
単純な睡眠不足の疲れもあるのだけど、今年19歳になる犬のコリンばあさまが、危篤状態なのだ。二ヶ月前ぐらいから歩行ができなくなり寝たきりになっていたが、床ずれをおこさないように私なりに気をつけて介護をしていた。
だが、首輪が首に食い込んでいる犬のことや、事故にあった近所の犬らしい犬のことがあって、気持がそちらにむいていて、だからと言ってコリンばあさまをほったらかしにしていたわけではなく、一日に何度も身体のむきをかえたり、食事、水遣りなどかわらずやっていたつもりなのに、でも気持が首輪の犬、事故の犬をかわいそうに思う方に傾いていたのはい事実で、まるでそのことを天が責めるように、コリンばあさまに床ずれを作ってしまったのだ。
いったん床ずれができると寝たきりの状態の犬の身体をあっという間に苛む。
その苦痛がひどいのだろう、コリンばあさまは、すっかり仔犬にもどって、夜間も何度も、「ママー、ママー」と私を呼ぶのだ。コリンばあさまの身体は日ごとどころか、分刻みに汚れていき傷は深くなる。
耳と耳の間をホリホリとなぜながら、冷たいガーゼでしばらく傷を覆い、それから薬をつけてやると、しばらくの間気持ちよさそうに眠る。だが一時間も経たず、「ママー、痛いよ〜」と泣く。
まるでボロ雑巾のようになっていくコリンばあさま。
それを刻々と見ていると、自分がコリンばあ様を地獄におとしたような気持になってきて、どうしようもなく重く辛く寂しくてならなくなるのだ。

十八年前、埼玉の国道沿いの自動車販売店の駐車場で、途方にくれたように立ちすくんでいた生後三ヶ月ぐらいだったコリン。あの時、新しい仔犬を引き受けることなど考えられない状況だったのに、このまま放置していたら、車にひかれてしまう、と抱き上げてしまった。・・・こうして我が家の犬になったコリン。19年近くを経た現在のこの姿・・・何もかもが自分が悪いような・・・悲しくて悲しくてならないのだ。
夫に、「埼玉からきた犬の最後の子が、危篤なのよ。埼玉の家に捨てられた猫や犬を守ろうと、あの家を捨てるようにしてここに来たけど、とうとう最後のコリンがいなくなっていくね。」と話しかけたが、夫は知らん顔をした。それは夫が認知症でわからなくなっているからなのではない。夫にしたら、そんな感傷にひたれる気分にはなれないのだろう。動物の問題は、自分の人生の陰になった問題で、それを引き起こしたのは私なのだ。夫にしたら、フンと横をむきたいのが正直な気持に違いないのだ。


こうした孤独感に塞いでいたところに、赤い薔薇のSoliloquyさんのトラックバックが、何かとても嬉しかった。
この方のブログはとても美しい。記事から、才色兼備のエレガンスと洗練と教養をそなえた素敵な熟年の女性だと感じる。しかもかなり男前の気風のしゃきっとしたシルエットが浮かび上がるのだ。人生を愉しんでおられる豊かさ。
昨年、この方の筍ごはんの記事があんまり美味しそうではじめてコメントを書かせてもらった。
今年、筍の季節を迎えて、私を思い出さして下さり、トラックバックをして下さったのだ。
・・・ほんと、寂しさが消えていくようなほっとした嬉しさを感じたよ。コメントを書いて下さる皆様にもいつも感じることだけど、人って優しいよね。
赤い薔薇のSoliloquyさんのブログは、
http://d.hatena.ne.jp/akaibara/20060409