第十八回 生か死か

この回は、諏訪の姫である由布姫(柴本幸)が武田の中で囚われの身として、死ぬべきか生きるべきか、はたまた生きるとしたらどのような生を選ぶか、と苦しい逡巡をして、ついに晴信(市川亀治郎)の側室になることを決意するまでを描いている。

この決意に至るまで、山本勘介(内野聖陽)は姫が生きる道を得るには晴信の側室になって男子を産むことだと必死の説得に尽くす。だが由布姫の心を深く揺るがせ、側室になることを決意させたのは勘介ではなかった。晴信の妹禰々(桜井幸子)と晴信の重臣の一人(竜雷太)と正室三条夫人(池脇千鶴)であった。

禰々は夫の諏訪領主を滅ぼされた失意の中で心身を病み、息子の虎王丸の行く末を案じながら薄幸の生涯を閉じる。晴信の重臣は、幽閉されている由布姫のところに来て自害をすすめると見せながら実は姫に殺されることを望んできたのである。それは、そうすることで、晴信が姫の命をとる選択をせざるを得ないようにするためである。つまり自分の命をかけて武田家の安泰を望んだのである。

由布姫は、そのことを察知しており、駆け付けてきた勘介に、「あの者は私に斬られにきたのだ」と言う。
三条夫人の来訪もまた、愛という己の命をかけて現れたのだと由布姫は感じていた。
この三人の純化した思い、凄絶ともいえる生き様の前に由布姫は決めるのだ。「自分だけ自分を斬らないわけにはいかない」と。ここはまだ会っていない晴信への特別な念のようなものの種が姫の内部に落ちた瞬間でもある。視聴者にとっては、由布姫が霊能的な神秘性をも内包した大きな存在であることを明確に知らされた。


私は、禰々(桜井幸子)、晴信の重臣の一人(竜雷太)、正室三条夫人(池脇千鶴)それぞれの描き方とその魂に感動と共感をもちながら観た。もちろん由布姫(柴本幸)にもだ。みんなそれぞれの役になりきり演じきり、それぞれに美しく大変な迫力だった。特に姫と重臣のまさに刀の刃の上で対峙しているかのような研ぎ澄ました場面には汗さえにじむ思いだった。こういう場面を成功させる二人は、人間性そのものが清廉なのだろうとも思った。


演出に筋が通っていて、それを揺るがさない強さが、上質のドラマにしているのだろうとそのことにも感動してしまう。それから音楽。シンプルな表現と使い方が素晴らしく効いていると思った。
主役の勘介は今回は完全に脇で、また由布姫の前にかたなしだったのだがそこがまた可笑しみがあって面白かった。