コムスン事件から現在思うこと

コムスンに関して、6月9日の段階で思っていたことは、『http://secondleague.net/ → 自分も幸せにする福祉活動』に書いているが、11日の今日現在感じることが、少し方向がかわってきた。


ワイドショーなどで見る限り、マスコミが、コムスンが引き起こした問題の責任は折口会長に全てあるようにしていってると見え、そのことに異議をとなえたい気持が起こっているのだ。
今回の事件の”罪状”を、もっと冷静に広い視野でとらえ、考え、分析していかなくてはならない、という気持である。


介護の現状は、施設が百あれば、百とも完全ではないはずです。何らかの問題を潜めている。
そこで働く人たちの待遇の悪さと人手不足の過重労働を共通項として、さまざまの問題が出ているはずです。
それは、もともとの介護保険制度そのものに欠落しているものがあるからです。
欠落した薄っぺらな制度を、民間、地域に投げ渡している。それを受け止めて介護事業をおこした人たちの考えや度量のままに、実際の介護が行われているのです。コムスンのような大きな問題こそおこさなくても、口聞かぬ高齢者、認知症の人の介護の現場は驚くような実態がまかり通っているかも知れないのです。
(逆にだからこそ、突出して素晴らしい介護を打ち出しておられる人や事業所はありますが)


そういう意味において、折口氏がやろうとしたのは、介護される当事者は何も言わない(言えない)者の介護を密室の中で執り行っているような介護のステージを、一段も二段も上げ、衆知の中で見える介護に高めたかったのではないか、とも感じはじめたのです。


勿論、ここのところはよくわかりません。
もし折口氏が、介護を甘い汁のすえるビジネスとして手をつけ、そのための様々な問題が表れたのならもう私は何も語りません。
今後、この事件の行く末を見ているだけです。
ただ、今思うのは、介護の現場を熟知した識者の方々の意見をよく聞いて、今後の制度の土台を作りなおし、あまねく広くいい介護ができるように、家族も安心できるようにして欲しいということ。
ことあるごとに書いたり言ったりしていることですが、一施設に一人は無理かも知れませんが、一地域に一人の広い視野を持った公正な人間性のカウンセラー的な人をおく制度にして欲しいと切に願います。